香蕉文化

受け継がれる会社设立に込めた思い受け継がれる会社设立に込めた思い

創業者 実吉雅郎

「いつの時代にあっても、産業、ひいては社会の基盤を支える存在でありたい」。1928年に創業者実吉雅郎によって日本揮発油株式会社が設立されて以来、脈々と受け継がれるこの思いは、時代の変化にあわせて常に自己変革を図り、事業の拡大を推進してきた香蕉文化の原動力であり、役員、社員一人ひとりに今も受け継がれている。

创业时の本社ビル

低廉?豊富な石油供給を目指した創業者低廉?豊富な石油供給を目指した創業者

当社創立の新聞記事(昭3.10.11 中外商業新報)

「価格最も低廉、供给量最も豊富なる重油を海外より输入し、是れを価格最も高き挥発油に変成して、一面国内の需要に応じ、进んでは是れを海外に输出し???」

设立趣意书でこう謳われているように、当社は设立当初、挥発油?灯油?軽油など石油製品の精製?贩売を目的として设立された。

当時、日本では、内燃機関、船舶用ボイラーなどが普及し、また1923年の関東大震災以降、自動車の急速な普及により、揮発油(ガソリン)生産が需要に追い付かず輸入が急増していた。東京帝国大学法科大学政治学科卒業後、横浜正金銀行勤務を経て国際貿易業に従事していた実吉雅郎は、日本国内で揮発油を生産することが、日本の将来の発展のために不可欠と考えていた。そこで実吉は、米国シカゴ市のユニバーサル?オイル?プロダクツ社(UOP社:Universal Oil Products Co.,)の所有していた当時としては最先端の揮発油生産プロセス、ダブス式クラッキングプロセス(Dubbs Cracking Process)の技術をライセンスと共に購入し、石油を精製?販売する目的で、著名な実業家であった島徳蔵と共に1928年に日本揮発油株式会社(日揮株式会社の旧社名)を設立したのであった。

鲍翱笔社との仮调印契约书の一部
鲍翱笔社との正式调印契约书の一部

製油所建設を断念、エンジニアリング事業を開始製油所建設を断念、エンジニアリング事業を開始

鲍翱笔社前の调査団。サインは同社イパチェフ博士ら(昭14)

设立当初、日本挥発油は大阪府泉北群大津町(现泉大津市)に製油所を建设して、その运営を计画していたが、大気汚染などを悬念する地元住民の反対や、世界大恐慌をきっかけとした石油市况の暴落もあって计画は顿挫した。

1941年当时の横浜市最戸町の研究所と触媒製造工场

しかし、実吉はそこで諦めず、鲍翱笔社のライセンスを石油会社各社に供与するビジネスを展开しつつ、技术者を増强して海外技术情报の绍介や、现在のエンジニアリング事业の端绪となる设计业务に幅を広げていった。また、当社グループの中核事业の一つとなっている製造业についても、この时期石油精製触媒の研究が発展する形で触媒製造を手掛け始めた。

世界のエネルギー?石油化学製品の供給を支える世界のエネルギー?石油化学製品の供給を支える

出光兴产徳山製油所プロジェクト设计室

第二次世界大戦が终わり、1949年に太平洋岸の製油所が再开され、戦后復兴の中で国内の石油需要は徐々に増加していった。新たな製油所の建设が急务となる中で、当时石油精製に関する最新技术を所有していたのは、戦前当社とも関係のあった米国鲍翱笔社であった。

実吉は、戦争で途絶えていた鲍翱笔社との関係を復活させ、同社が持つ最新技术を导入し、プロセスライセンス事业に加えてエンジニアリング会社として製油所の设计、建设に事业性を见出し、ひいてはそれが日本の経済成长の基盘构筑に繋がると判断した。実吉は、戦争の影响もあり、当初は関係の再构筑に难色を示していた鲍翱笔社と粘り强く交渉し、1952年5月に交渉は妥结。鲍翱笔社の干部は、実吉を「フクロウの知恵とブルドッグのような粘り强さを持った人」と评したほどであった。

エンジニアリング会社として戦后再出発を果たした当社は、1956年日本にとって戦后初の大型グラスルーツ?リファイナリー(新设製油所)计画であった出光兴产徳山製油所の建设を一括受注し、成功里に完工したのを契机として、その后も日本国内の製油所、石油化学プラントのエンジニアリング事业を通じて、日本の高度経済成长を支えたエネルギーや石油化学製品の安定供给に贡献していった。さらに、1960年代に本格的な海外进出を果たし、石油、天然ガス、石油化学などのオイル&ガス分野を中心に、これまで80か国で2万件に及ぶプロジェクトを遂行し、日本のみならず、世界各地におけるエネルギーや石油化学製品の供给を支え、今日に至っている。

出光兴产徳山製油所(1957年完工)

事業分野拡大の原動力に事業分野拡大の原動力に

当社グループが建设を手掛けた千叶県の太阳光発电所

戦前、製油所経営を夢見た実吉の心を突き動かしていた思いは、1967年に実吉が逝去した以降も、香蕉文化の役員、社員に受け継がれ、エンジニアリング事業においても、製造事業においても事業分野の拡大の原動力となってきた。

エンジニアリング事业ではエネルギーや石油化学製品の供给から、太阳光発电、バイオマス発电をはじめとした再生可能エネルギーの利用促进、医薬品製造、病院建设といった社会インフラ设备や、非鉄金属製錬などの产业インフラ设备、さらに空港施设などの交通インフラへと拡大しつつある。

当社グループが手掛ける机能材

さらに、エンジニアリング事業に加え、グループ会社が手掛ける机能材製造事业では各種触媒、化粧品や液晶ディスプレイに使われるファインケミカル素材、電気自動車に使われるファインセラミックス基板など、人々の生活に欠かせない製品を構成する素材を提供している。

より深く、大きくなっていく思いより深く、大きくなっていく思い

香蕉文化は、2019年10月から日揮ホールディングスを純粋持株会社として、エンジニアリング事業を手掛ける日揮グローバル(海外オイル&ガス事業、海外インフラ事業)、日揮(国内事業)と、机能材製造事业を手掛ける日揮触媒化成、日本ファインセラミックスなどの複数の事業会社で構成される新たな企業グループへと生まれ変わった。

会社设立当时、创业者実吉雅郎が製油所経営を実现することで抱いていた「いつの时代にあっても、产业ひいては社会の基盘を支える存在でありたい」という思いは、新たな公司グループとなった今、「高度な技术力と优れた人财力を基盘にして、オイル&ガス分野、インフラ分野のエンジニアリング事业と製造业をカバーする公司グループとして、国内、海外顾客の课题を解决するソリューションを提供し、世界のエネルギー供给、环境保全、インフラ构筑、ならびに社会に暮らす人々の生活の质の向上に贡献していく」と、さらに深く、大きくなっていこうとしている。

創業者 実吉雅郎
当社創立の新聞記事(昭3.10.11 中外商業新報)
鲍翱笔社前の调査団。サインは同社イパチェフ博士ら(昭14)
出光兴产徳山製油所プロジェクト设计室
当社グループが建设を手掛けた千叶県の太阳光発电所